2004-12-25

Harry Potter and the Half-Blood Prince

ハリーポッターの第6巻が2005年7月16日に発売されるとの発表がありました。

題名は、 Harry Potter and the Half-Blood Prince だそうです。

日本語版の発売は、再来年かな?第五巻は英語出てから、一年かかったものなあ。静山社って出版社、いろいろ薀蓄や言い分がたっぷりある社長がやってるようですが、翻訳遅すぎ。

2004-09-29

Mt.富士ヒルクライムレース参戦記

9月26日に、富士ヒルクライムに行って来ました。富士山の五合目まで上る有料道路「スバルライン」を全面通行止めにして、全長25キロ、標高差1300メートルを自転車で駆け上がるというレース。今回が第一回の大会です。

物好きなと思われるでしょうが、参戦記を書きましたので、お休み時間にでもお読みください。

当方は40代後半、自転車は通学、買い物で使用しただけでした。昨年から健康のため、晴れた日で気が向いた時には、職場まで片道約10キロの自転車通勤を始めました。少し自転車がおもしろくなったので、週末には、最近はポタリングというらしいが、少し遠くまで出かけるようになった。のんびり長距離なら、横浜市緑区の中山から相模湖往復、江ノ島往復の経験はありますが、本格的な山や峠を上った事はなし。

自転車雑誌に載っていたこの大会を見て、思わず申し込んでしまいました。初心者でも完走可能、小径車もOKの言葉と、富士山に登る初のレース、というのが微妙に心に響いてしまったのです。

実は20インチの折畳み自転車をネット通販で購入したばかりで、結構乗り心地が良くて、かなり入れ込んでいました。こいつで上れるかもと思ったのです。しかしながら、流石に6段変則でヒルクライムは無理らしいと気が付き、リサイクルショップで折畳みタイプのMTB(もどき)を激安でゲット。タイヤを路面との抵抗が高いボコボコのブロックタイヤから、ツルツルのスリックタイヤに買え、ペダルをトゥークリップタイプに変更して、少々情けないながらヒルクライム仕様自転車としました。本体13K、タイヤ3K、ペダル(+クリップ、ストラップ)が2Kで、2万円弱の投資。

さて、この大会、道路規制の都合から、なにしろ早朝レース(6時集合、7時スタート、12時迄に下山終了)なので、当日受付は不可。前日の夜8時までに受付しないと参加拒否。というわけで前泊(まあ当日受付可でも、自宅から朝6時に電車で到達するのは不可能なのだけど、車の人は十分可能でしょうが)。しかし参加料は8千円もするし、宿泊費はかかるし、交通費もそれなり、飯も食うし合計3万くらいかかる。自転車の投資額も含めると、お父さんの小遣いはピンチです。

当日の昼2時頃に富士急行線富士吉田駅に到着すると雨。足慣らしを兼ねて受付のために会場の北麓公園まで行くつもりが、いきなり予定修正を余儀なくされる。駅の軒下で自転車を組みたてて雨宿りするが止みそうにないので、少し小雨になったところでホテルへ直行する。安っぽいビジネスホテル。完全前金、現金のみ(旅の窓口で予約)。

ホテルで小休憩して、雨のあがるのを待つが止みそうもない。あきらめて、雨具装備で北麓公園へ出発。結構な距離と標高差。だいたい6~7キロで200メーターくらい上るのかな。だらだら坂ばかり急な坂はないが、結構疲れる。会場で受付をして、ゼッケンや土産のバッグを貰う。展示ショップなどを覗いて、開会セレモニーの終わりの方を見学。なんかかっての有名な自転車選手だと言う、今中氏という自転車会社経営者がジャンケン大会の司会をしていた。

後はすることもないので、駅前のヨーカ堂で文庫本を買って、道路沿いの吉野屋の牛鍋定食を食べて、ホテルに帰る。一冊読み終えても眠くならない。缶チューハイ3本あけたが眠れず。結局3時過ぎに寝て5時起床となった。

翌日は5時過ぎにホテルを出発し、6時前に会場到着。なんかクランクかBBからゴリゴリと異音が鳴り始めた。電車での輪行中にガタがきたのかも。結構気に入って愛着も出てきた自転車だが、ここでレース諦めるわけにもいかないので、最悪の場合は廃棄にいたる故障も覚悟で、このまま参戦する事にした。

40代の部は7時20分出発。もうちょっとゆっくり寝ていても良いのだが、荷物を五合目まで上げてくれるサービスの受付が6時15分。会場までの登りの疲労回復も含めて早め目に行った。ところが小雨は降るは、霧はすごいはで体が冷え切ってしまう。トイレの前には長蛇の列。肛門に言い聞かせて何とか我慢させる。

なにしろ総参加者2500人、40代だけで400人。スタートしてからスバルラインの料金所迄の2キロ弱は芋の子を洗う状態。その割には斜度が8%とかの部分もあり、結構疲れる。みんなについていくのが精一杯。料金所を過ぎると追い越し可となり、実力の差が出てくる。こちらはとにかく完走が目的、皆さんの邪魔にならないように抜いていってもらう。そうこうしているうちに10分遅れでスタートした30代の部の早い人にも抜かれ出す。振り返ってみると1合目までが一番きつかった。1合目到着までに抜かれるべき人にはだいたい抜かれたようだ(スタート地点標高1035m、1合目1405m)。


とにかく第一関門突破を目指して進む。上っていくペースも自転車のギア比も掴めないまま、とにかく登る。所々に標高や距離の道標があるがレースの距離と無関係なので、自分がコースのどの辺まできたのかイメージが掴めない。5キロの計測地点へきて、「ありゃ、まだたった5キロか」と思って、前途の多難さを思う。


1合目まで来たので、看板を携帯電話のカメラで取る。ひょっとしてリタイアとなったときに1合目は越えたという証拠にするつもり。



第一関門は10.6キロ地点、二合目の向こう。こりゃアカンと思いながら、先へ進む。同類項というか実力の同じ様な人が固まりだす。「いやいや素人には無理がありますねえ」と同年代のおじさんと話しながら2合目を通過。またしても証拠写真を撮る。(今回はおじさんにシャッター押してもらったので、本人が写っている。)そろそろ早い人は降りてくるんじゃないかなあと話し合っていると、そのうち、係りの人から、下山集団が下ってくるので右側に寄らないようにと指示がでる。下りてくる皆さんから頑張れの激励をいただく。


ようやく第一関門10.6キロ、標高1612mへ到着する。8時50分。スタート後1時間半経過。制限時刻20分前。先ほどのおじさんとほぼ同時だった。給水してもらって、雑談しながら休息。次の関門締め切りは10時で、7.8キロ先と係員の人に教えてもらう。うーむ、これまでと同じペースでいって、ぎりぎりか。とにかく頑張るしかないので、進み出す。この辺でさっきのおじさんとは離れてしまう。完走できたろうか?ひょっとして気が付かないうちに抜かれていたりして。

走り始めてみると、案ずるより産むが易しで、この区間は急な坂が無く、結構進む。物の本には軽いギアで足を早く回すのが良いとあるが、私のように心肺能力が弱い人間には当てはまらないようだ。子供の頃から体を早く動かす事が苦手。かけっこだってビリばかり。従って少し重めのギアで回転数を下げる方があっているようだ。前3速のうち、インナーからセンター中心に切り替え。
三合目(14キロ、標高1780メーター)を通過したのでまた証拠写真。なんとか制限時刻10分前の9時50分に第二関門(18.4キロ、標高2018m)に到着。富士吉田名物のナントカ?太鼓がガンバレーとエールを送ってくれる。


時間も厳しいので、給水も断り、息が整ったところでゴールへ向かう。ゴールの制限時刻は10時45分。あと6.6キロ、標高差287m。第二関門を出るとすぐに四合目(19キロ、2045メーター)がある。
ここからは8%の激坂が何度かある。気はせくが無理な激坂トライはせず、上っては休む、歩くを繰り返す。キノコ狩りに来たらしい地元の方から声援を受ける。時々集団で下ってくる完走者の皆さんかも激励を賜る。ありがたい事だ。気を入れなおして頑張って進む。


山岳トライアルポイントとかで20~21キロ付近で急な坂の通過タイムを計測している。ここを歩きも含めて何とかクリア。この後も上りが続くが、上りきったところから少し平坦+下りが続いて最後のゴール前が急な坂らしい。制限時間に間に合わせるために、最後の坂は歩いても良いつもりで、前をアウターに入れて、全力でスピードを上げて時間を稼ぐ。坂の前で、ここ上ったらゴールだと言われて、最後の力を絞り出す。でもやっぱり半分は歩く。クランクとBB部分からの異音はますます激しくなり、トルクをかけるとバコンと音がする上に、足首に何かがずれる感覚が伝わってくる。ひょっとしたらこの自転車とも今日でお別れかも。

さて、平らになったが霧で向こうがよく見えない、「ありゃまだゴールじゃないのか」、と思わず呟くと側にたっていた関係者らしき人が「すぐあそこがゴールだ」と言う。霧の向こうに確かにゴールの横断幕らしき物が見えるような気が。ゴール制限の10時45分に完走者の集団での下山最終組が予定されており、ゴール前数十メートルに選手が並んでいる。みなさんから、がんばれ、あと少しのご声援。少々恥ずかしい。

ゴールの司会者が、最後のランナーがきました。すぐ後ろに回収車がいます、と言いだした。後ろを見ると事務局の車。あわててゴール。疲れていたのか、降りようとして右足がサドルを越えられずに転倒のおまけ付きでレースは終了(実は私は最後でなかったらしく、この後二人くらいゴールしたようです)。



ゴールは五合目の駐車場付近(25キロ、標高2305メーター)。五合目の標識を探す気力が無く、とりあえず五合目と書いてある案内書の写真を撮ってから、かみさんにゴールしたよとケータイメールする。直後に電話かかってきてゴールおめでとうと祝福をたまわる。うーーん良い奥さんだ。家族をほっといて、一人で富士山まで来たのに、感謝。



さてスタート前に預けておいたリュックが五合目で待っていてくれるはずなのに、制限時間ぎりぎりの到着だった為、本人より先に下りの車に乗ってしまった。本人も車で下ろしてもらおうかと思ったが、何しろこんなに苦労して上ったのだから、自転車で駆け下りてみたい。しかも車規制中なので事故の心配もない。

結局、3時間半かけて上って、数分間五合目に滞在(しかも霧で何も見えず)しただけで、集団での下りに参加。リュックが回収できないので下山のための防寒具が無い。半ズボンのまま下りる羽目に。その上、リアブレーキのワイヤが伸びており、ブレーキの効きがとっても甘くて、左手はブレーキレバーをおもいっきり引いたままで下りることになった。

とは言え、たとえ体は凍えそうになりながらも、下りは爽快。レース用に泥除け外してあるので、道路の水を跳ね上げてパンツも足もずぶぬれになるが気にならない。20キロで整然と降りるようにとのことだが、最後の集団の最後尾で出発しており、隊列が伸びているので、スピードは適当に緩急つけても問題なし。でも怖いのであまり極端なスピードは出せず。登りでは苦しくて、見ているようで見ていなかったのだろう、どうも一度通った道とは思えないくらい見覚えがない。第一関門だったところでの小休止を挟んで、1時間ほどで北麓公園に到着。

会場で、富士吉田市の皆さんが振る舞ってくださったホウトウをほおばって、体を温める。授賞式だののセレモニーが行われる中、ご主人様を見捨てて、五合目まで行って一人で下りてしまった荷物を探し回る。輸送トラックのあたりに行くと私のリュックとその他いくつかの荷物をぶら下げたおじさんを見つける。ヘルメットの番号を見せてリュックを回収。やっと長ズボンがはけた。

上りの途中で話した人たちがいれば、健闘を讃え合おうかと思ったが、2500人+応援の人たちでごった返しており、とても出会えそうにはない。電車で横浜に帰るには3時間はかかる。明日は会社だし、老骨は早く家に帰って一風呂浴びて休息しないともたない。レースの余韻に浸りながらも、長居は無用と帰路に就く。

電車賃節約のため、ほとんど下って行けばいいだろう大月まで自転車でと、レース前は考えていたが、会場から富士吉田方面へ向かってみると、やはり体力、集中力ともに消耗している。知らない道を、車に気をつけながら何十キロも行くのは無理だろう。と言うことで富士吉田駅に向かう。

駅に着くと、富士急の特急は出たところで、普通列車で大月に向かう事にする。売店で土産に桔梗信玄餅を買う。以降の連絡は良く、大月ですぐに中央線の東京行きに連絡、八王子でもすぐに横浜線快速に乗り継げた。中央線でイワナ釣り帰りのおじさんと話し込む。100mくらいの絶壁をでっかいクーラーボックス(氷満載)を担いで登り、16匹ゲットして生で持って帰るところだと言う。物好きがいるものだと思ったが、よく考えると人のことは言えない。

結局5時頃に帰宅。土産を子供たちが食べる。エネルギー補充用に持っていったチョコも渡す(レース中は食べる余裕すらなかった)。風呂を沸かしてもらって、汚れと共にゆっくりと疲れを落とす。ああ、良い経験をしました。正直、完走できないんじゃないかと思っていましたが、

何とか完走できてハッピーでした。もっと若いときにやってみると良かったかなあ。それから、やっぱりタバコは止めないと駄目ですね。息がすぐに上がってしまう。せめて一日二箱を半分にするか。

Posted by at 2004年09月28日 11:03